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伴田良輔個展「CURVES」

クリエイションギャラリー日本橋箱崎さんで開催の伴田良輔さんの展示を見てきました。

ドローイングと写真の作品展示だったのだけど

このドローイングの展示をどんなに楽しみにしていたことか…


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神保町のスピンギャラリーで伴田さんに作品を見せていただいてから

大きな場所で展示するから、という伴田さんの言葉に胸を躍らせていた。

ここ二年くらいに起きたどうしようもなく苦しい時間は

何度もこのドローイングの記憶に頼った。

そして、本物にすがりたいと、その都度思ってきた。

自分の心の状態とドローイング作品が合っていて、ただ救いだったし展示を見たら救われる気がしていた。


ギャラリーの中へ入って一面見渡したときに

私が見た以前の作品とはまた異なったものであると認識した。

たぶん、乳房の写真とともにあり、その写真になぞらうようなドローイング作品だったからだろうと思う。

私が見た(一度きりの記憶なので、苦しいことがある度に思い出したせいで本物より印象がとげとげしくなっていたかも知れない)ときの作品は

人が絡まった画に見えたり、

自然なもの(描かれるのに使われた竹)と不自然なもの(描いた手、人間)がぶつかっているような、しかし交わりや融合ではない印象だったり

どどー!とやってくるようなものだった。

今回展示されていたものは、おっぱいのような丸さ、滑らかさ

母性(と呼ばれそうなもの。私は母性がわからないので、想像上の母性)が軸にあり構成されていそうで

もっと穏やかで、「どうぞ」と差し出されたような感じだった。

(ちょっと授乳される赤子の気持ち)



左手奥に並んだドローイングがとくに気になり気に入った。

他の作品はどうしても写真と並んでいるのでおっぱいの姿と一緒にインプットされてきてしまう。

だから、それが悪いわけではないのだけど、おっぱいプラス、というかそのイメージの上に重なって印象がやってくる。

奥にならんだ作品は、直接的に、私に自由に想像を与えてくれた。

それはどんなものだったかというと、胎児だ。

あまり現実的な形ではなく、妊娠した女性本人が想像する、自分の体の中に居る胎児。

その想像(気持ち)が描かれているようだった。

一番右側が、妊娠の経過が進み想像上でより具体化され安定してきた、人間(赤子)らしい胎児。

大きな頭と、丸め縮めた手足。丸まった背中。

もう生まれるのを待つばかりで、後述の左側の作品たちよりも姿が具体化されていて、母親の目線での姿(胎児は頭を下に逆さまで過ごしているが、母親側から見れば頭が上にあるのでその目線の通りの姿という意味)をしている。

それよりも左側の作品たちは、妊娠の経過を辿るなかでの想像だから、ぼやけていたり人間の形っぽいイメージではなかったり、胎動の様子を見ているようだったり、順調に妊娠が続くのかという不安な気持ちが混ざっていたりする。

ドローイング作品と、その左右の壁の乳房写真ドローイングが、すべて目に入ってくる位置に立ち、眺める。

なんだか、そうすると、もうこの空間がおかあさんとあかちゃんのあの独特な雰囲気の場所にしか思えなくなってくる。

よく、男性はこどもが生まれてから父親になる、なんて聞くけれど、女性はその前から母親で生まれたあともずっと母親で、なんだなーと漠然と思った。(おっぱい効果かなあ

(母性がわからない、母親からの愛情がわからない私による想像だから、どれも嘘っぽいんだけど)



それから、前は前述したように描く道具と描く人間が混ざっていなかったのだけど

今回見た感想は、もっと溶け合っていた。

色の濃いところ、かすめてその周囲をいくようなところ

形だけでなく筆跡というかそのアタリというか

前のものより優しくて(やっぱりおっぱいだから?)

自然と在る伴田さんが浮かんだ。



見たくて見たくて求めていたドローイング、以前受けたような印象を持つものたちではなかったのだけど

また違う角度から私を救ってくれた(掬うという漢字のほうが合っている)と思います。

見る側の状態も大きく影響しそうだけれど

また、伴田さんのドローイング作品を見たいと思いました。

(広い会場内も作品と合っていた。)
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